2011_04_27_[WED]

ネットと電波媒体がクロスしてくる今日。
他の芸能考察ブログと違い
【現代芸能】を現象から見える『売れアルゴリズム』と『提供サイド側の思惑』を適当に考察する

他の芸能考察ブログと違い
【現代芸能】を現象から見える『売れアルゴリズム』と『提供サイド側の思惑』を適当に考察する
--> シリーズ 【ヨシモト芸人を作ろう!】 の全体見出し
-->コレまでの「ヨシモト」関連エントリー
---シーズン02見出し---
◆02-01--「ヨシモト」のドンとソノ御仕事
◆02-02--「ヨシモト」のドンが興行師の理由
◆02-03--「ヨシモト」企業防衛と興行師達の「戦前」
◆02-04--「ヨシモト」企業防衛と興行師達の「戦後」
◆02-05--「ヨシモト」興行稼業とライオンの子供達
◆02-06--「ヨシモト」のドンと興行師「大崎洋」
◆02-07--「ヨシモト」のドン若き「破壊者」代表的MG
◆02-02--「ヨシモト」のドンが興行師の理由
◆02-03--「ヨシモト」企業防衛と興行師達の「戦前」
◆02-04--「ヨシモト」企業防衛と興行師達の「戦後」
◆02-05--「ヨシモト」興行稼業とライオンの子供達
◆02-06--「ヨシモト」のドンと興行師「大崎洋」
◆02-07--「ヨシモト」のドン若き「破壊者」代表的MG
- ▼若き「破壊者」曰く「漫才は一切するな!」
- ▼若き「破壊者」引押しで勝ち取った「印税」MG
- ▼若き「破壊者」ベテランに潰されぬよう「隔絶」MG
-----------------------
▼若き「破壊者」曰く「漫才は一切するな!」
「大崎」氏がマンザイブーム終りで、再び大阪に出戻りし取り掛かったMGが、 当時のNSCを出た「ノーブランド」と呼ばれた師匠を持たない若手芸人の小屋「心斎橋2丁目劇場」運営で、
キャパ100程の小屋を統括するプロデューサーとして、マネジメントを開始する。
コアなファン層を作れ
実質的に興行師として業界で勝負を始めた若き破壊者「大崎」氏は、 マンザイブームが短期間で収縮したリアルを東京の【連絡事務所】で目の当たりにして
100人というキャパもあり 長く支持を受ける「芸人」を作り出すことに焦点を当てて
2丁目劇場は、半径数メートルだけに通じる、その場にいる人間だけが共有できる新たな【笑い】を提供する。
というコンセプトを立てて無名時代から才能を買っていた「ダウンタウン」さんを中央にすえて運営を開始する。
マンザイブームの早い終焉の反省からフワッとした一般受けでなく 「コアファン」を作り出す事を徹底させるために

『ここは花月とは違うんや。この劇場では、漫才は一切するな』
と指導し。
界隈誌を読むと、この頃からそういった言動が「大崎は変わってる」と言われ始めるようだが
結局は「大崎」氏の狙いが若者にズバリと嵌り人気が出始め、劇場の番組「4時ですよ〜だ!」が火をつけて
一大ブームを生み出す。
▼若き「破壊者」引押しで勝ち取った「印税」MG
「印税」MGの粘り越しマネジメントは若き破壊者「大崎」氏が界隈誌で取り上げられる時に、 『全てを疑え』等と象徴的によく使われる事例で自分も幾つかの関連誌で読んだが、 知らないヒトの為に概要の一部を引用しておく。
大崎がテーブルについたときのタフネスぶりはつとに有名で、業界の伝説にすらなっている。
例えば松本が書籍を出版するときならこんな具合だ。出版社側が切り出す。
「松本さんの場合、印税は十パーセントということでよろしいですね」
通常、書籍の印税は定価の八から十パーセントの間で取り決められる。 この率を誰が決めたのかは知らないが疑義を挟む者はいない。 出版に関しては契約書を交わすこともあるし、そうでない場合もある。
大崎はいつもの、とぼけたような表情で切り返す。
「ほな、出版社は九割も儲けはるわけですね。この本、書いたんは松本やし、考えたんも松本やし、 松本の本やから売れるんですよねえ。ふう〜ん、そうですかあ。一所懸命に本を書いたもんが一割で、 あとは全部出版社の儲けになるんですか」
「誤解してもらっては困ります。九割の中には印刷費や製本代、運送費、取次や本屋さんの取り分が入っています。 それに出版した本がすべて売れるわけがないので、そのリスクも考えなきゃいけません。」
「そうですかあ。けど、唸りながらアイディア搾り出して原稿書いた松本がたったの一割とはなあ。 ホンマは出版社が、ぎようさん儲けてはるんでしよ?」
「大崎さん、冗談はやめてください。印税の割合は業界の通例です」
「なるほど、通例なんですよねえ。出版界のルールやねん。そうかあ、仕方ないですねえ」
「人気作家さんもこの決まりに従ってくださっています」
「大先生でも一割しか貰えへんのですか?」
「そ、そうですよ。まあ中には例外もいらっしゃって、ここだけの話ですけど司馬遼太郎先生なんかは特別中の特別で十二パーセントお支払いしてますけど」
「司馬先生でも通例より二パーセントアップですか。そうかあ、厳しい世界なんですねえ」
「分かっていただけましたか、大崎さん」
要領を得たのか、それとも不承不承なのか---大崎は、とりあえずは出版社の言い分を受け止める。
ただ、彼のはんなりとした語調と茫洋とでもいうべき風貌のおかげで場の雰囲気は険のあるものにはならなかった。だが翌日、大崎はしれっとした顔で再び出版社を訪れていた。
「あのう、昨日の印税のことなんですが。これ、一晩考えたんですけど、どうして苦労に苦労を重ねてオモロイことを書いた松本が一割しか貰えないのでしょうか」
結局、松本の印税は司馬遼太郎のラインを突破するという【画期的な】料率で決定した。
大崎のじんわり、やんわり、ねばっこい、それでいて場を荒立たせない交渉術は彼の真骨頂というべきものだ。
≪吉本興業の正体--増田晶文--第六章「ケッタイな会社」より一部を引用≫
例えば松本が書籍を出版するときならこんな具合だ。出版社側が切り出す。
「松本さんの場合、印税は十パーセントということでよろしいですね」
通常、書籍の印税は定価の八から十パーセントの間で取り決められる。 この率を誰が決めたのかは知らないが疑義を挟む者はいない。 出版に関しては契約書を交わすこともあるし、そうでない場合もある。
大崎はいつもの、とぼけたような表情で切り返す。

「ほな、出版社は九割も儲けはるわけですね。この本、書いたんは松本やし、考えたんも松本やし、 松本の本やから売れるんですよねえ。ふう〜ん、そうですかあ。一所懸命に本を書いたもんが一割で、 あとは全部出版社の儲けになるんですか」
「誤解してもらっては困ります。九割の中には印刷費や製本代、運送費、取次や本屋さんの取り分が入っています。 それに出版した本がすべて売れるわけがないので、そのリスクも考えなきゃいけません。」

「そうですかあ。けど、唸りながらアイディア搾り出して原稿書いた松本がたったの一割とはなあ。 ホンマは出版社が、ぎようさん儲けてはるんでしよ?」
「大崎さん、冗談はやめてください。印税の割合は業界の通例です」

「なるほど、通例なんですよねえ。出版界のルールやねん。そうかあ、仕方ないですねえ」
「人気作家さんもこの決まりに従ってくださっています」

「大先生でも一割しか貰えへんのですか?」
「そ、そうですよ。まあ中には例外もいらっしゃって、ここだけの話ですけど司馬遼太郎先生なんかは特別中の特別で十二パーセントお支払いしてますけど」

「司馬先生でも通例より二パーセントアップですか。そうかあ、厳しい世界なんですねえ」
「分かっていただけましたか、大崎さん」
要領を得たのか、それとも不承不承なのか---大崎は、とりあえずは出版社の言い分を受け止める。
ただ、彼のはんなりとした語調と茫洋とでもいうべき風貌のおかげで場の雰囲気は険のあるものにはならなかった。だが翌日、大崎はしれっとした顔で再び出版社を訪れていた。

「あのう、昨日の印税のことなんですが。これ、一晩考えたんですけど、どうして苦労に苦労を重ねてオモロイことを書いた松本が一割しか貰えないのでしょうか」
結局、松本の印税は司馬遼太郎のラインを突破するという【画期的な】料率で決定した。
大崎のじんわり、やんわり、ねばっこい、それでいて場を荒立たせない交渉術は彼の真骨頂というべきものだ。
≪吉本興業の正体--増田晶文--第六章「ケッタイな会社」より一部を引用≫
「大崎」氏が自分の部下にマネージメント指導する時によく言うのが【疑え】というキーワードらしく、
この印税のマネジメントも結局は、
松本さんの書籍だから絶対に数が捌ける。 という読みがあるから押したら出版社を崩せると踏んで突っ込んでいる大崎氏の「シタタカサ」という能力が前提ですが
特に印税が10%でも全く問題がないのに
自分が目にかけている芸人の為に常識の限界を突破してくるマネジメント術で能力の高さを見せつけられて「芸人」達が「大崎」氏へ寄せる大きな信頼感であったり、 カリスマ感が熟成していったのであろうと推察ができます。
▼若き「破壊者」ベテランに潰されぬよう「隔絶」MG
「大崎」氏は二丁目の芸人を育成していく過程で、その言動から『アンチ吉本』『アンチ花月』という言われ方をするようになる。
それは会社の上層部が「二丁目」芸人が人気が出たら「うめだ花月」や「なんば花月」に出していく方針を取ろうとしていた時期に

『二丁目タレントは花月に出さない。』
と、宣言して
実際に若き破壊者「大崎」氏は、そのマネジメントを実行し、 本当に芸人の人気が出ても随分の間、ヨシモトの幹部とブツカリながらも二丁目の芸人を花月に出さない期間が続きます。
それまでのヨシモトでは、若手小屋からステップアップとして格の高い寄席に出していく。 というルールで運営されていた事を「大崎」氏は、否定しマネジメントを進めていき前述の『アンチ吉本』『アンチ花月』とされ、
「破壊者」
という言葉も使われ始めるキッカケともなります。
しかし、これは後に分かることなんですが何故、「大崎」氏が『アンチ吉本』『アンチ花月』と言われるようなマネジメントを上と揉めることも厭わず強行したのか?
それは
2丁目の若手は、師匠がいない「ノーブランド」芸人で花月に出ているベテランの中では良く思っていない芸人も多く、
嫌がらせ等で萎縮させてしまい彼らの才能を潰される事を恐れ自らがマネジメントで防ぐ
という仕掛けだったことが、嫌がらせで潰されないチカラを或程度付けてから花月や他の劇場にも出していき 十年以上が経過すると様々な劇場で2丁目の若手が活躍を始める事で判明する。
結局は「大崎」氏の自らが体を張って「破壊者」であったり「アンチ吉本」と言われようが「ダウンタウン」さんを中心としたNSC「ノーブランド」芸人をTV演芸でのメインストリームに運んだことで
「隔絶」マネジメントで育てた事が正解であった事を証明し、
また、それと並行して行われた
三弾ロケット型「売り」MG
これは現在のヨシモトのグループにも幹部に名を連ねている所謂、 「大崎グループ」と言われていた面々も「売り」の手法として多投していたマネジメントで
昔から「ザ・パンダ」を始めとするヨシモト特有のユニットでの売り出し手法があり、 二丁目の芸人もソレにならってダウンタウンさんを中心に数人を周りに付けて番組で売り出すのだが
「大崎」氏らは単発のユニット等でのグループ売りで終りでなく、 もっと緊密な接近方法を取り
例えば「ダウンタウン」さんに「今田耕司」さん「東野幸治」さんをユニット化して、 「今田耕司」さんが跳ねたら今田さんの周りに「雨上がり」さん等の若手の芸人を付けてというように
ユニットで人気が出るとそこから、二弾三弾と分裂させていく手法をとっていき 今までは単発で終わっていたものを「売れ」を連鎖させて
新しい若者達の「第二次お笑いブーム」以降で
吉本興業は爆進する。
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