2011_01_24_[MON]

サテンにてツレといつものように「無駄」話をした。
【TV演芸】だけじゃなくリアル世界でも
ヒトの幸せを見るのが辛くて、不幸は「蜜の味」というヒトがいる。
オイちゃんは、昔から全くそれが無い。
自分がどんなに底辺で最悪な環境でも、他人の『真実性』エネルギーに包まれた多幸感を浴びると、純度が高ければ高いほど単純に心が明るくなり元気をもらえる。
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-->コレまでの【自分考察】関連エントリー
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---01見出し---
- ▼鈴木夫妻から『真実性』エネルギー
- ▼【自我境界】確立性の差異
- ▼こっちはクライアントだぜ?
- ▼女教師達の女教師モノマネ?
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▼鈴木夫妻から『真実性』エネルギー
帰宅後に、【TV演芸】で「鈴木おさむ」さんと森三中「大島」さん夫妻が出ていた。

オイちゃんは、森三中「大島」さんを芸人としても好きだけど、ソレ以上に、 この夫婦の「幸福感」が好きでこの二人が出ているとチャンネルをとめてしまう。
もちろん夫婦だから表に出せない色んなこともあるだろうけども、この夫妻が好きなのは出来芝居ではなく、 腹の底にある高純度の『真実性』を感じる事のできるカップルだからだ。
作られた猿芝居には無い『真実性』エネルギー。
他人の不幸が好きな人からすると、「ヒトの幸せが蜜の味」と文字にすると嘘っぽいだろうがリアルだ。
オイちゃんは 昔から普通に恋人がいる時も、今のように居ない時も相変わらず「新婚さん、いらっしゃい」を録画して見続けている事が証明していて、 見て『ホッコリ』充電という
観る為の明確な理由がソコには存在する。
他人の多幸感から「元気玉」のようにTV画面越しに自らへ「エネルギー変換」できる都合のよい体質なのだ。
今日も「鈴木おさむ」夫妻の【TV演芸】を観終わって、小さな暖かいエネルギーがオイちゃんの心にチャージされた。 ほんとうにこの二人が出会えて良かった。
感謝!
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▼【自我境界】確立性の差異
実際に、知り合いの女の子にも「他人の不幸」が餌化しているヒトがいるが、この違いは何だろう?
と思って考察すると
【自我境界】確立性の差異とわかる。
「他人の不幸」で自分を幸福にしているヒトも、話していると性悪という感じではなく逆に【自我境界】がユルイ人が多く、感情のブレが頻繁に起こる傾向がある。
つまり、オイちゃんの場合は、それがホボ無い。
無教会主義のキリスト教信仰という部分が影響している事もあるのだろうが
「ヒトの不幸が蜜の味」なヒトと比べて他人と自分自身を切り離しているから、「繋がらない違う世界での出来事」 悪い言い方をすれば所詮は「他人ごと」として捉えていて、他人の世界観が自分自身へ侵入し深度を増す事が少ない
もっと分かりやすく言うと
フラミンゴの「ツガイ」を、てんとう虫が眺めるぐらい【自我境界】で隔てられている。
だから他人の「幸せ」というエネルギーを自分自身に受け入れるときは、自分に都合が良いエネルギー変換というフィルターを通るので汚染されない。
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▼こっちはクライアントだぜ?
でも、これはヨク考えると、信仰を持つ前の子供の頃からで
友人たちが「おニャン子クラブ」に夢中だった時期にオイちゃんは【檀ふみ】さんのエッセイを読んで 檀さんの文章が好きだなぁ。と言っていたし、
今でもヨクあるのだが取り敢えず、周りと話題を合わせるために子供の頃は、 好きなアイドルを適当に被らないように作ってデータだけもって話題に参加するが、 全く夢中にならないからツレの前では好きを装うけどもコンサートとか行くのがメンドクサクて大変だった。
アイドルなんかに『真実性』など無いのを分かりながら、プロレスをガチと信じるツレに合わす心境だった。
もちろん、恋愛とかは唯一【自我境界】が低くなるが、それはお互いが人生の中で歩く時間を共有するからで、 互いの信頼感があって初めて成立することなわけで、
なんで何の『真実性』や心の接点を持つこと無く進む「アイドル」なんかに真剣に人生を賭けて夢中になれるのか?
あっちは卸売メーカーで、こっちはクライアントだぜ?
と昔から口には出さないが思っていた人だったという信仰以前に【自我境界】が高い素地はあった。
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▼女教師達の女教師モノマネ?
今思えばオイちゃんの状況判断が甘いのだが、
小学校の時には、クラス担任の女の教師が、朝から明らかに学校とは無関係ポイ事でイライラしていて
普段では怒らない出来事で激高し、「ルールを守れ!」と言ってオイちゃんの頭を小突いたので思わず
『教師が家庭の揉め事を、学校に持ち込むのはルール違反じゃ無いのか?』
と、ボソっと言ったら、その担任の女教師が更に真っ赤な顔になりビンタをされた事もあったり。
今なら、大人だからソコに『真実性』など無く、彼女が演じる「女教師モノマネ」が多少下手でも見てみぬふりができるし、 ビジネスとしての作られた「学園モノ」猿芝居にプレイヤーとして参加して乗っていくこともできるが
やはりソコは小学生だ。
【自我境界】壁が高いオイちゃんのようなヒトは良いことばかりではなく、 社会人として周りに合わせる為に無理しないと、そういう理由なきグルーブ感を演じられない辛さがある。
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