2010_08_31_[TUE]

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-->コレまでの【自分考察】関連エントリー
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つい先日、自動販売機でジュースを買おうと財布をみると500円玉しかなくて、しかたなく
何のジュースを買おうかとディスプレイを見ながら投入口に500円玉を入れようとしたら
手元が狂って、
右手からスルリと500円玉がコボレ。
『ああっーー』
と、小さな呻きと同時に、拾い上げるために転がる500円玉を目で追っていると
自販機の横にあるフェンスを超えて川に落ちた・・・。
ここでキリスト教徒である自分は、

キット「それでも私は神を信じます!」 と焼け出された聖徒を体現すべきなんだろうけども
リアルな世界では、
そんなもんはコノ暑さの中ではどうでも良くて
さすがに頬を叩かれる前に先制攻撃を仕掛ける劇団四季の団員ほど好戦的ではないけども、
≪戦争三部作で「戦闘」の悲惨さを描く四季に所属する団員が、殴られる前に先制攻撃というリアルが、 綺麗事の理想と現実との違いというオモロを見せつけてくれる「浅利慶太」先生に感謝≫
右頬を張られたら左を差し出す徳も無いオイちゃんは、

『うわーーー。糞リバーめ!オレの貴重な500円を飲み込みやがって!お釣り分だけでも返せ。』
とセコク逆切れして
『オレが市長になったらコンクリートでぺんぺん草も生えないぐらいに埋め立ててやるからな!』
と、独裁者宣言まで飛び出してしまった。
今、家に帰って改めて自分の行いを振り返ってみると【自分のミニマム】さの証明以上に、
本人でなく第三者的には、
自販機を横に男が1人、川へ指を差しながら独り言を 放っていた≪心の中で呟くのではなく声を出して≫現象とは、
余裕ある生活をしている人がすると『ウイットに富んだジョーク』に見え、 モテ要素になるのだろうけども、
ギリギリの借金生活で暮らすオイちゃんがすると、 まさしく、たまに見かける見えない敵と戦って死刑にならない「残念な人」とカナリ高シンクロしているわけで
同じ「記号」でもバックグラウンドが異なるだけで見える風景も違ってくるのだなぁ。と
この神の祝福の違いは何かと考えると
どこの神様も綺麗事は大得意だが、基本的には布教と運営費を維持するために 沢山のお布施をしてくれる物質的な裕福な人が、お好きなように、考察すればするほど
リアルとは現世に限らずシビアでオモロだ。
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