2010_08_07_[SAT]
ネットと電波媒体がクロスしてくる今日。
【現代芸能】を奇才芸人【鳥居みゆき】さん現象から見える『売れアルゴリズム』と『提供サイド側の思惑』を適当に考察するシリーズ 【現象としての鳥居みゆき】
今回は、【鳥居みゆき】さんの2010年に行われた単独公演のレビューを多くのファンの方とは違い、いつものように全く見当違いな視点で観察し考察していく。
≪内容は、以前のエントリーから単に抜いただけ。≫

【現代芸能】を奇才芸人【鳥居みゆき】さん現象から見える『売れアルゴリズム』と『提供サイド側の思惑』を適当に考察するシリーズ 【現象としての鳥居みゆき】
今回は、【鳥居みゆき】さんの2010年に行われた単独公演のレビューを多くのファンの方とは違い、いつものように全く見当違いな視点で観察し考察していく。
≪内容は、以前のエントリーから単に抜いただけ。≫
---見出し---
◆ラモンズスクイット片割れ動向
- ▼【鑑賞】鳥居みゆき単独。--「再生」01
- ▼【鑑賞】鳥居みゆき単独。--「再生」02
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◆ラモンズスクイット片割れ動向
▼【鑑賞】鳥居みゆき単独。--「再生」01
2010_07期は、関東で若手ライブや木馬亭など古典演芸も見に行ったのですが何と言っても
「鳥居みゆき」さん2年ぶりの単独ライブ『再生』
具体的な感想はDVDが発売されるようなので、出だし以外は書かないのだが、
「結婚式」当日という主人公にとって人生のハレ舞台から物語が展開していく今回の単独「再生」

≪前回の単独では、全体を葬儀場に見立てて観客に喪服着用で一体感を出していたが、今回はGYAOなど告知媒体が無かったために 着席前に観客へ「紹介カード」を渡して全体を披露宴会場的に見せる演出。こういった演出は新劇小屋でよくある。≫

≪ストーリーが進むと、やたら耳につくパロ音楽と共に謎が解けてくる。≫

『TV演芸』では見る事ができない「鳥居みゆき」の真骨頂である『生と死』が背骨になった「The 鳥居みゆき」世界観が、 期待値よりも爆発していた。

満員の会場を2時間飽きさせる事無く終始シニカルな笑いと感嘆で包んでいた。
2009年【鳥居みゆき】考察で当たった事、ハズした事。そして2010年。 2009_12_31_[THU]
での予想で、コアなファン層を固めるような演劇コントの単独を打ってくる。という中で書いた、「鳥居みゆき」しか醸し出せない場、

これは単独とは、関係はないのだが『多毛』さんや今回の『ポポたん』などの 「鳥居みゆき」さんが創造してくるサブキャラの作成に関する手法や位置取りは、 見せ方という意味で色々勉強になる。
ただ芸人でもないし、今後、芸人になることも、この界隈で商売することも、無いので使い道が全く無いが、 細かい演出の部分で気づくことが多かった。
例えば、少しマジメな部分を指摘すると
おそらく「鳥居みゆき」さんは構造を理論的でなく感覚的に作り出しているのだろうけど ≪逆にだから、彼女のモンスターぶりを証明しているともいえるが≫
最後のあの時に新聞紙でできた『ポポたん』でなくて、ちゃんと熊という有機体というバックグラウンドを持つ 『多毛』さんのようなヌイグルミという有機物の擬似を抱えて、
『ゴミと一緒に捨てられたヌイグルミ。』という設定で喋らせたとしたら、最後にあの余韻を作る事ができたかなぁ?
ということ。
下手な演出家が絵を描くと、あそこでは「鳥居みゆき」さんのマサコとのシンボリックな記号になっている 『多毛』さんに被せて来てヌイグルミ≪熊ではないハズ≫にしていたと思う。 客受けや、合わせとしてもパターン的にはコチラが正解。
でも無機質な『ポポたん』だった。
無機質なモノでできた、擬態だからより一層、主人公の「心の闇に潜む声」という構図が際立ってラストの会話では、会場が 水を打ったように静まり返って彼女の言葉を神妙に聞き入ってる様子が全てを表していた気がする。
「鳥居みゆき」さんは、理論的か感覚的かは別にして完全に「見る側」への効果を理解している上で演出上、より無機質なモノに語らせて 振り幅をデカクしていた。とかいうと、
あまり演劇とか見たり界隈誌を読んだことのない人に限って「後付だろ?」とか言いたくなるのでしょうが コレに関して
それは100%無い。
なぜなら「鳥居みゆき」さんは、この無機質なモノを使うことで振り幅をデカクする演出をネタでもよく使っているから。
またナカナカ偶然だけでは人に見せるレベルの演出効果は出せない。
証明は簡単で、実際に、短い作品を自分で書けばわかる。
頭で思うのと、全然違うから。
素人でも、いわゆる聞き齧りや書籍を読んだだけで大御所気分になり、界隈を理解した気になっている『未経験シッタカ』オイちゃんたちのようなウザイ部類に入る人達だと、
頭で構想している時点ではオモロなのに実際にネタを書いて、それを演じてビデオに撮って見返すと、 演出効果とかそれ以前に凄く悲惨な事になっている。
たぶん、ヤレば分かるが想像しているよりも悲惨な事になる。 Youtubuでたまに見かけるサムい動画の主人公が自分自身になって見れるのだ。
お笑い好きとか自称お笑い評論家とかは、是非やるべきだと思う。
オイちゃんにとっても残念なお知らせだが、
フランソワ・トリュフォーは、大量生産されない。
プロの芸人に自分が放っている技術論的な言葉が、見る人から見れば如何に『滑稽』か少しは自己認識出来ると思う。
自分も幾つか「紙コント」を作ってやってみたり、「演劇コント」とか「ヒトリ漫談」とか作って実際に 演じてみたらギミックを挟み込む難しさがよくわかる。
自分で言うのも何なんだけど、なぞり気味の「演劇コント」や「紙コント」の作品等は、まぁまぁな出来だと思って
「ネタ」として演じると、 気分は『ウメ』さんであったり『鳥居みゆき』さんなんだけど、映像や音声で確認すると、 トンでもなく田舎の学芸会レベルに。
一言で言うならね『滑稽』、もう一つ言うなら『憐れ』
その時、初めて気づくのね。
「ああっ、そうか。演芸も作品と演者は一体であって、演者のレベルに合わせて作品は書かないと駄目なんだ!」
『理想と現実は違う』
悲惨な事になっているのは、相撲取りの体系で「シャネル」を着ようとしているからだと。 若手のライブとか見ていると、コレに気づいていない芸人さんも多くて、他人事ながらココを気づくって大切なんだなぁと。
スベっているのは、服と体型が合っていないからで
ウケルという構図にする為の手段は『服に体型を合わせる』か『体型に服を合わせる』かの二つで、
『服に体型を合わせる』には『鳥居みゆき』さんみたいに 8年近くもストイックに理想に向かってダイエットを続ける根性が必要という事。
『体型に服を合わせる』には、『島田紳助』師匠のような冷静に自分が何であるか? という客観性や社会への強度なアンテナ感度の才が必要という事。
『ああっ、一線級のプロって凄いんだなぁ』って、よーーくわかる。
証明は簡単で、実際に、短い作品を自分で書けばわかる。
頭で思うのと、全然違うから。
素人でも、いわゆる聞き齧りや書籍を読んだだけで大御所気分になり、界隈を理解した気になっている『未経験シッタカ』オイちゃんたちのようなウザイ部類に入る人達だと、
頭で構想している時点ではオモロなのに実際にネタを書いて、それを演じてビデオに撮って見返すと、 演出効果とかそれ以前に凄く悲惨な事になっている。
たぶん、ヤレば分かるが想像しているよりも悲惨な事になる。 Youtubuでたまに見かけるサムい動画の主人公が自分自身になって見れるのだ。
お笑い好きとか自称お笑い評論家とかは、是非やるべきだと思う。
オイちゃんにとっても残念なお知らせだが、
フランソワ・トリュフォーは、大量生産されない。
プロの芸人に自分が放っている技術論的な言葉が、見る人から見れば如何に『滑稽』か少しは自己認識出来ると思う。
自分も幾つか「紙コント」を作ってやってみたり、「演劇コント」とか「ヒトリ漫談」とか作って実際に 演じてみたらギミックを挟み込む難しさがよくわかる。
自分で言うのも何なんだけど、なぞり気味の「演劇コント」や「紙コント」の作品等は、まぁまぁな出来だと思って
「ネタ」として演じると、 気分は『ウメ』さんであったり『鳥居みゆき』さんなんだけど、映像や音声で確認すると、 トンでもなく田舎の学芸会レベルに。
一言で言うならね『滑稽』、もう一つ言うなら『憐れ』
その時、初めて気づくのね。
「ああっ、そうか。演芸も作品と演者は一体であって、演者のレベルに合わせて作品は書かないと駄目なんだ!」
『理想と現実は違う』
悲惨な事になっているのは、相撲取りの体系で「シャネル」を着ようとしているからだと。 若手のライブとか見ていると、コレに気づいていない芸人さんも多くて、他人事ながらココを気づくって大切なんだなぁと。
スベっているのは、服と体型が合っていないからで
ウケルという構図にする為の手段は『服に体型を合わせる』か『体型に服を合わせる』かの二つで、
『服に体型を合わせる』には『鳥居みゆき』さんみたいに 8年近くもストイックに理想に向かってダイエットを続ける根性が必要という事。
『体型に服を合わせる』には、『島田紳助』師匠のような冷静に自分が何であるか? という客観性や社会への強度なアンテナ感度の才が必要という事。
『ああっ、一線級のプロって凄いんだなぁ』って、よーーくわかる。
細かい部分なので気づきにくいと思うが「赤ずきん」のネタで出てくる『操り人形』もそう。 わざとより無機質な形態≪長さを揃えないとか≫にして、ツッコミで感情を元の位置にセットする時の幅をでかくする演出をしている。
≪もちろん、「鳥居みゆき」さんは、インタビュアーにそういった演出意図を聞かれても大抵は「カニ最強」とか言ってスカすのもパターンだ。そこの理由はよくわからないけど。≫
自分の狙った効果がドンピシャで決まっていたわけから「表現者としては最高なんだろうなぁ」と思いながらオイちゃんは見てた。
より無機質なモノが生み出す『生』というのは、有機質が表す『生』よりも振り幅が大きなって見る側に与えるインパクトがでかくなる。
とか、理論が改めて実証された現場で理解できたりと気づくことがとても多い舞台だった。
▼【鑑賞】鳥居みゆき単独。--「再生」02
公演後、演劇で大切な余韻を楽しまず最初に出ていく人はどんなヤツだろう。男か女か?
と自分の中でギャンブルし、公演が終わって後ろを向いてジッと観察していたら

オイちゃんは、ライブで見たこともあるので少し遅れて入ってきた瞬間に顔でなく≪離れていたし暗くて見えなかった≫肩のラインとの動きから人定できた。
その元相方さんを観察してると、公演の途中で「足が痛い。」とか「腰いたい」とかのジェスチャーをしながら≪当然、声は聞こえない≫、途中で正座をやめてた。 オイちゃんは、「そりゃそうだろう。」と心の中で思いながら片割れさんの動向が気になり始めて
少し離れていたので頑張って、「鳥居みゆき」さんの公演と二元観察していたら元相方さんの 笑うポイントが少し周りとズレていて、ちょっとオモロかったので本編と違うトコで笑ってしまった。
≪片割れさんはエロとグロでは、エロな場面でウケていた。『鳥居みゆき』さんの初期作品の相手をしてわけで思い出し笑いもあるんだろうなぁ。 と推察しながら草月会館で両方のラモンズスクイットを観察していた。≫
他にも、芸人さんとかきていた。
基本的に昔から出待ちとか全く興味がない人なのだが、 ラモンズスクイットの片割れさんの言動がちょっとオモロかったので、
後ろから尾行して「なんで最初、正座してはったんですか?」って聞こうと思って
少し急ぎ気味に廊下に出ると、すでにラモンズスクイットの相方さんはいなくて

扉から会場を出ると奥にあった広いスペースではなくて、SMA所属の元相方さんと関係者が会話していた近くの狭い廊下で物品販売をしていた。
消えてしまったラモンズスクイットを探して廊下に出るも彼の姿はなく、「あの壁の前でクネクネしていた男は幻だったのか?」 ラモンズスクイットがどこに行ったか
辺りを見渡してると

「先着、何名」とか言いながら容姿とは似つかわない丁寧な案内で並ばされて

ラモンズスクイットに質問をしたいがために後を追って飛び出したおかげで何故か先着何名とかの「引き出物」をゲットしたのち、
改めてスタッフを見てみるとライブで見た事のあるサンミュの若手な芸人さん達が、これまたアバンギャドなTシャツを着て売り子をしていた。
中央では、マグカップとTシャツを見たことのある芸人さんが客と対応していたが、

≪「ゆみみ」さんは、エンタより以前、4年ぐらい前のライブでピンの時に見たことがある。 ネタは「紙コント」をやられててウケてたし実際にオモロかったけども 「TV演芸では、カプセル化するか改変しないと茶の間はキツイから無理だろうなぁ。」と思っていたが、 しばらく後にTV演芸で同じ感じのネタをやってて綺麗に予想ギャンブルをハズしたからよく覚えている。≫

マグカップは販売終了したようで買えなかった。

男女比や、服装、どんな客層が来ているのかとか観客の動きを考察していたら
奥の方でポスターを売っている「イー☆ちゃん」さんが「ゆみみ」さんと対照的に、 客を一定間隔をあけながら無表情に見回していて
その対照的な構図がオモロでポスターとDVDを売っていた「イー☆ちゃん」さんのソバまで行って
二人を交互に見てたら

「おっさん、なにジロジロ見回しとんねん。かわへんのやったらはよ帰れや」って感じの≪もちろん、思ってもないだろうし言うわけ無いけど≫
無表情で乾いた感じの睨みを一瞬いれられ、
怯んだオイちゃんは、
『あっ、すみません。ポスターを1枚』と、何故か謝罪までしてしまい予定になかったポスターも買ってしまった。

鳥居みゆき単独。--「再生」レビュー終わり。
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