2009_07_16_[THU]

ここ1ヶ月ほどヒトリで休日に東京の寄席やお笑いライブを見に出かけたり、
京都の美術館と博物館のハシゴをしてた。
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20代の時は、京都の「新人展」と尼崎の「安井賞」は年中行事として必ず行ってた。
自分も公募展に出品したり、 小さなトコを借りて個展を開いたり、 自分の借りてる1Kのアパートで知り合いを呼んで個展と称してみたり、 好きと行動力だけで世界は成立すると思ってた。
とうぜん、彼女も美大生や美術好きヒトになるわけでそれ以外にも知り合いの個展や。 自分が好きだった「鴨居玲」の魅力を彼女に目録片手に何時間も語ったり。
だけど、
どんな世界でもプロは好きと行動力だけじゃ成り立たない。
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◆本気で好きで食べたいなら。
どう自分を演出して、どう目的に向かって手段を構築していくのかという 方法論を確立させないとダメなわけで。
結局、大学を卒業して全く関連性のない不動産屋に就職してなんかクロッキーとか 目の前にチラつくのがイラついてきて
カピカピになってる筆、長年使ってた木製のケース、数十冊のデッサン帳や油絵とか全部きれいさっぱり燃やしてやった。
リセット。
そう、殺してやった。
過去の自分をコロス。
そんな事が多い。
なんか、振り返ってみると芝居掛かった悲劇のヒロイン的な行為が三文芝居の「失恋したおんなの子」みたいで笑える。
乙女チック。
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◆美術館で 絵画鑑賞後に。
サテンで独りコーヒーを飲みながら、過去の自分を殺した「あの時の乙女リセット」について考えてた。
最終的に「自分コロシは正解だった」と思った。
たぶん、「方法論」の重要性に辿りついてない気がするから。
今の自分も40歳まじかで週数回のガテンの派遣で暮らす日本の最下層で、世間的には決して褒められた立場じゃないけども
あのままの自分ならきっと売れるための「方法論」の重要性にまで辿りつけていないから、あのまま続けていても「自分の好きな事をやって売れない自分を責めたてていた」と思う。
それは貧困よりも苦しい。
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◆いぜん読んだ、某美術誌の対談。
「現在も生きている芸術家が、本当に才能があるのかをどうやって私達は見出せばいいんでしょう?」という質問者の問いに
某美術史家が「その芸術家を殺してみる事です。」ってジョークで 答えていたけど≪ほとんど一般的には知られていないけど美術史家って結構ユニークな人が多い。≫笑ってしまった。
確かに。その説に賭けて一票を投じても倍率は低そうだ。
その前文が当時の画壇サロン関係者や美術評論家に全く見向きもされなかったゴッホなんかの若くして無くなった芸術家が沢山いる。という趣旨からの流れだったので
見抜けなかった同業先人達へのウイットな笑い を含んでいた。
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◆あまたある素人美術評論ブログ等の論者達。
素人なオイチャン達とプロでも人気のある美術史家との違いは、もちろん表面的な知識の差だけではなく、こういう 余裕のある切り返しのセンスも重要だったりするわけで、
美術が好きな素人評論家の大多数は、 とにかく知ってる美術知識をブログに詰め込もうとして文面から 【必死観】が漂う。その必死さで起こる笑いとは少し異質だ。
まぁ美術評論も当時、勢いのあった某氏のように「黄金の兜」を絶賛していたら筆入れ無しの工房作品だったり。
長年観察していると勢い余って突っ込みすぎると業界的に殺される危険性があったり、意外と怖い世界なので
【芸術家を殺してから評判を見極める。】という空気もあながち笑いではなかったりするのかなぁ。
と、もうヒト笑い。
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◆プレーイングマネージャ。
絶対に迎える試合終了に向かって淡々とヒト知れず進む草野球なリアル人生ゲーム。 【オイチャン球団】は、能力や予算不足から大型補強もできそうにはなく小手先でかわそうと目論見中。
まだ人生の4回の裏の攻撃終了の段階なのに大きく負け越してる【オイチャン球団】。 コールドゲーム7回終了だけは避けたい。
試合の勝ち負けよりも果たして9回まで試合ができるか?負け組なんて9回まで戦えるだけましじゃないか。 そんな心境だ。
クローザーに「農民」を投入するにしてもコールドゲームでゲームセットを させないためにも中継ぎピッチャーのカードが必要だ。
そろそろ、「自分コロシ」のサインを自分におくる準備を。
小さい小さいリアル世界で。
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