2008_09_28_[SUN]

第何次かのお笑いブームと呼ばれる昨今、
結構な数の【お笑い関連本】が出版されている。
オイチャンも昔から新しい見方を提供してくれる演芸関係の【評論本】が好きで≪主に演劇や古典芸能だけど≫気になる書籍を買ってみたり 図書館で借りて読んだりしていた。
その延長でいわゆるイロモノ主体の【TV演芸】関連の【評論本】や 『お笑いなんちゃら』『なんちゃらのお笑い』等々なんかも十何冊程度を借りて読んでみたりするのだが、 歴史が浅いからか読み手が重いものを求めていない傾向があるのかは定かではないけども 古典が残っている演芸に比べて全体的に【軽くて主観的】だ。
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よくみかけたのが
【この芸人さんのように、こういうときにこうやれば日常で笑わすことが出来る】
っていう断定的口調。って
前提無しで
『そんなもん、できるか!』
とりあえず、
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技術的な事
会話の中で笑いにつながる【独特の間や空気】を読んだりすることも言葉で言うのは簡単だけど実際行うのは大違い ≪普通の人は場数を踏めないし≫。とかインパクトを聞き手にもたらす事で笑いを作る作業のために行う【声を張る】≪基本的な芸人発声≫ という事がオイチャンのような普通の人はちゃんと訓練しないとできない。≪これが出来ないと画面では素人芸に映る≫ って事などなど笑いを生むための基本的な技術を無しにプロの芸人を真似ると超絶サムい事に≪酒の席とかなら良くても≫
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環境的な事
大前提として【TV演芸】では暗黙の了解が成り立っており、演者は投げ手≪ボケ≫も受け手≪突っ込み≫もプロの芸人だから 投げ込んだ話題を笑いを生み出すように努力するしその場も笑いを常に求める環境にあるの に対して 【日常】では、こちらの話題を受け手が拾ってくれる保証は無く、 そもそもジョークや笑いを前提とした会話を是としていない場合が多いという環境的な事。
あえて書名をあげないけども。
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あと読んでいて感じる事が古典芸能関連と比較するとオイチャンのような素人が見ても
【感想文】の粋を出ていない形式のものが多いなぁ。と

というのはどこの大学でもレポートなどを 書くときに教授とかが【ガミガミ】や【ネチネチ】と言う ウザッたい耳に残るナンバーワンだと思うし。
≪評論は必ず構成を意識し、その結論に至る論拠や導かれる結論を補足する為の引用は出典等を明示し引用記法を遵守する。というやつね≫
なのにこれが全くナッシングなので読んでいても消化しにくい。
なので、読みながら『だから、その結論にたどり着く論拠はなんなん?どういう論理構成でなりたっとん?』と書籍に 突っ込むことになる。
そして最後には
『だから、どういう視点から見るとどこがどうだからという説明も無くか!』
『そんなもん、普通の会話の中で素人がやったらウザイしサムイわ!』
『そんなもんはブログかチラシの裏にでも書いておけ!』
とお笑い評論本ではなく【突っ込み技術者養成本】となっている。
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