2008_09_04_[WED]
そして、今日この日本の戦後が生んだ【ふわふわとした生】を猛烈に感じる出来事があった。

結論は見えているのに『サブだから15インチでもいけんじゃねぇ?』という セコイ根性の【ヘモグロビン】に惑わされ素早い決断が下せないのだ。 どうせ最後は結局30000円ぐらいのを買うのにだ。 『だったらさっさと早く買えよ!』と自分で自分に突っ込むのにもう1週間以上もそのまま15インチのディスプレイを使っている。
もちろんこういった神様からの【気づきの訪れ】が今後のおいちゃんの生へ幸せをもたらすのか尚いっそうの苦痛を与えるのかはわからないが返品するにしてもどの住所にすればいいのかもわかないしせっかく頂いたのだから
常に日々生を意識し素早い決断ができるよう 【紛争地域で戦っている特殊部隊になったつもりで生きる】という目標を立ててヘモグロビンレベルまで意識して年末まで頑張ろうと思いました。
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殆どの決断というものは当然リスクが伴う。
日常を意識なく暮らしているが 生き続けていると言う決断にも常に死というリスクが付きまとっている。 ただ今のおいちゃんの生はそういった積極的な死の肯定から生まれているのもではなく 【死ぬ可能性があるから生きるのを辞める。】 という決断の遅延がおいちゃんをまだ生かしているだけなのである。
そう。神や生死を意識し決断して生きているのではなく単に生きているだけだ。
つまり、何も考えていないのだ!
たぶん明日も明後日も脳が解けるような単純労働により 肉体が疲労し日々思考し決断をする事を停止して流されるままに心臓へ血流を通じて酸素を送り続けるのだ。 時間に追い立てられ何も決断しないでオートログイン、オートドライブモード全開。

戦後の日本人は死を意識しないおいちゃんと同じく、 【ふわふわとした生】の中で死亡リスクの存在自体を 消し去ってしまっている。いや正確には消し去ることなどできないのだからゴミ箱に入れられただけなのだろう。
自由や平和とは死をもいとわない決心の元で生まれるという十字軍や様々な自由への戦いの歴史さえゴミ箱に入れている。
神様、おいちゃんはロボットトミーになってしまったよ【ヘモグロビン】。
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