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2008-09-30

GoogleツールバーでAV女優、エロ動画検索。オイチャンは馬鹿? How can you be so silly?



2008_09_30_[TUE]---( 2008_05_03_[SAT] )

オイチャンはLINUXだけでなくWINもfirefoxユーザーなのでgoogleのメールから始まってブックマークなどなどで 情報のシンクロや共有をしておりgoogleのWEBサービスが無くなればどうやってインターネットをすればいいか途方にくれる人だ。

そしてfirefoxユーザーならばオイチャンと同じく【グーグルのツールバー】を使っている人が多いはず。



こういう上の【グーグルのツールバーボタン】が並んでいるやつね。



上のリストボックスから選択する【firefoxの標準サーチバー】よりも【グーグルのツールバー】での検索法がワンクリックという直感性があったり付加機能もありヘビーユーザーほど使用頻度は高いはず。

その【グーグルのツールバー】は、新たなサイトの情報を検索するには【グーグルのツールバーボタン】を配列し検索サイトを増加させていきます。 そして、このボタンは下の【ボタンギャラリー】で簡単に追加していくことができます。



それで、ここのギャラリーに無いボタンは自作する。 ここまではごくごく当たり前の話。

と思っていたオイチャンは馬鹿?



上にある動画検索サイトの【Fooooo】を検索したくてギャラリーを 探すもfirefox版が見当たらないのでいつものようにボタンを自作しようと【グーグルのツールバー】の仕様書を探して読んでいたら・・・。

うげーマジかよッ!!



検索ボックスにカーソルを合わせて右クリック、カスタム検索を実行したら



1秒でボタンが勝手にできた!googleエライ!

Firefox ツールバーのバージョン 3の新機能か。 知らなかった、自作やる気マンマンなオイチャンが馬鹿じゃないか?

と、一瞬思ったが知らないヤツは多いはず。なのでエントリーしておく。

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その他ボタンギャラリーに無いが、オイチャンが【カスタム検索】で追加して便利だと思ったボタン。

Foooooの動画検索。
このFoooooの動画検索は【firefoxの標準サーチバー】用はあるんだけどGOOGLEのボタンギャラリーには無い。≪と思う。≫ Googleの動画検索よりリーチが多くの日本人向けのサイトから検索をかけられるのでムチャ便利。

Gooの辞書検索。
このGooの辞書検索は【firefoxの標準サーチバー】用はあるんだけどGOOGLEのボタンギャラリーには無い。≪と思う。≫ 総合検索をかけられるのでムチャ便利。

DMMのアダルト検索。
このDMMのアダルト検索はGOOGLEのボタンギャラリーには無い。≪と思う。≫ 学術的に必要だよね?ムチャ便利。



動画ファイルナビゲーターのアダルト検索。
この動ナビのアダルト検索はGOOGLEのボタンギャラリーには無い。≪と思う。≫ 検索扉はココ。 最新の無料エロ動画をキーワード検索。ムチャ便利。もちろん、検索ボタンを追加していいのは18歳以上の健全な精神を持つ諸君だけだぞ。



これで、AV女優の最新データーやエロ動画の情報検索で無駄な時間をつぶすことも無くなったよね?

オイチャンもキリシタンとして迷える人々に有益なエントリーを上げたあとは気分がいいよ。

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2008-09-29

今後もリナクスといえばVINE!『これだ!!』, my vine linux update to 4.2



2008_09_29_[MON]---( 2008_05_20_[TUE] )


自分にとって初めてのリナクスがMkLinuxというディストリ。 マックでLinuxが扱える!と言うことで『これだ!!』『Winとの共有化は木馬でなくMkLinux!』と思ったオイチャン。

ジョブズが復帰する少し前のマック。互換機を展開したりと迷走していた暗黒時代の遺物のパワーPCと共に MkLinuxは完全にオイチャンの予想を裏切り殆どだれも知らないうちに消え去った。

次に使い始めたのが日本語が普通に使えたVineLinux。 もちろん、赤帽でなくバインを見た時に『これだ!!』『これからメインストリーム!』と思ったオイチャン。



リナザウも発売当時に『これだ!!』『後続が続々参入するはず!!』でいまだシャープを信じ何度か買い換えて2台現役だ。

もちろん、オイチャンは【PiPin】というマックOS互換で動くマルチメディア機も 見た時に『これだ!!』『任天堂の時代も終わり!』と思って予約してまで購入した。

逆にココまで来れば目利きと言えるだろう。

そして本日、我が家の ローカルサーバーとして畏怖堂々と稼動しているVine-Linuxを4.1->4.2にUPした。 そうなのだ。ローカルとして完全内向き利用するには全く問題が無い。

楽天主義はこの世の業を吸収してあまりあるなぁ。

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2008-09-28

突っ込み技術者養成本 The funny book.



2008_09_28_[SUN]


第何次かのお笑いブームと呼ばれる昨今、 結構な数の【お笑い関連本】が出版されている。

オイチャンも昔から新しい見方を提供してくれる演芸関係の【評論本】が好きで≪主に演劇や古典芸能だけど≫気になる書籍を買ってみたり 図書館で借りて読んだりしていた。

その延長でいわゆるイロモノ主体の【TV演芸】関連の【評論本】や 『お笑いなんちゃら』『なんちゃらのお笑い』等々なんかも十何冊程度を借りて読んでみたりするのだが、 歴史が浅いからか読み手が重いものを求めていない傾向があるのかは定かではないけども 古典が残っている演芸に比べて全体的に【軽くて主観的】だ。

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よくみかけたのが 【この芸人さんのように、こういうときにこうやれば日常で笑わすことが出来る】 っていう断定的口調。って


前提無しで

『そんなもん、できるか!』

とりあえず、
  1. 技術的な事
    会話の中で笑いにつながる【独特の間や空気】を読んだりすることも言葉で言うのは簡単だけど実際行うのは大違い ≪普通の人は場数を踏めないし≫。とかインパクトを聞き手にもたらす事で笑いを作る作業のために行う【声を張る】≪基本的な芸人発声≫ という事がオイチャンのような普通の人はちゃんと訓練しないとできない。≪これが出来ないと画面では素人芸に映る≫ って事などなど笑いを生むための基本的な技術を無しにプロの芸人を真似ると超絶サムい事に≪酒の席とかなら良くても≫

  2. 環境的な事
    大前提として【TV演芸】では暗黙の了解が成り立っており、演者は投げ手≪ボケ≫も受け手≪突っ込み≫もプロの芸人だから 投げ込んだ話題を笑いを生み出すように努力するしその場も笑いを常に求める環境にあるの に対して 【日常】では、こちらの話題を受け手が拾ってくれる保証は無く、 そもそもジョークや笑いを前提とした会話を是としていない場合が多いという環境的な事。
こういった大前提無しで【こうすれば芸人のように笑わせられる!】 って・・。プロの芸人さんを舐めすぎ。なのか、それとも素人を過大評価しすぎなのかはわかりませんが。

あえて書名をあげないけども。

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あと読んでいて感じる事が古典芸能関連と比較するとオイチャンのような素人が見ても 【感想文】の粋を出ていない形式のものが多いなぁ。と

たとえば、ごくごく基本的なことだけども【感想文】と【評論文】の違いは【論旨】をあらわす事なのだ。

というのはどこの大学でもレポートなどを 書くときに教授とかが【ガミガミ】や【ネチネチ】と言う ウザッたい耳に残るナンバーワンだと思うし。

≪評論は必ず構成を意識し、その結論に至る論拠や導かれる結論を補足する為の引用は出典等を明示し引用記法を遵守する。というやつね≫

なのにこれが全くナッシングなので読んでいても消化しにくい。

なので、読みながら『だから、その結論にたどり着く論拠はなんなん?どういう論理構成でなりたっとん?』と書籍に 突っ込むことになる。

そして最後には

『だから、どういう視点から見るとどこがどうだからという説明も無くか!』

『そんなもん、普通の会話の中で素人がやったらウザイしサムイわ!』

『そんなもんはブログかチラシの裏にでも書いておけ!』

とお笑い評論本ではなく【突っ込み技術者養成本】となっている。

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2008-09-21

ニコライ・セミョーノビッチ レスコーフ『魅せられた旅人』 Nikolai Leskov - The Enchanted Wanderer (Очарованный странник).



2008_09_21_[SUN]

今週は19世紀のロシア人ジャーナリストとしても有名な作家、 ニコライ・セミョーノビッチ レスコーフЛесков, Николай Семёнович, Nikolai Semyonovich Leskov≫(16 February 1831 - 5 March 1895)の【魅せられた旅人】を読んだ。

とか言いながら名前は【鼻】で有名な≪とある女優が雑誌でベタ褒めしてた≫ショスタコーヴィチが曲を書いているオペラの【ムツェンスク郡のマクベス夫人】の原作者として聞いた事があったが著作を読むのは初めて≪もちろん翻訳モノだけど≫のレスコーフ。

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毎回毎回、『あーこんな面白い作品を読んでいなかったのか!』と自分の無知と蒙昧ぶりを再認識させてくれるロシア文学。≪翻訳版≫かといって語り合えるロシア文学好きも皆無でその【気づき】は生活になんの利得も無いが。

逆にこんな阪神がヤバイ時期にそんな話題をオイチャンのリアルな世界ですれば【空気が読めないヤツ】OR【頭が狂ったもの】という烙印を押される。図書館で借りてきた【ロシア文学集】を知人に見られぬようエロ本よりも厳重に表紙を隠す。 日本の関西におけるオイチャンのいる風景では、そういうポジションがロシア文学。

大人の読み物【ロシア文学】スゲー。というか日本の文学作品と違って子供が読んで面白いと感じるのは難しいと思うんだけど≪面白いと思ってもそこは年齢によって軸ズレが起こると思うのだが。≫そのあたりはどうロシア文学界隈では消化されているのか?これは【ロシア文学】初心者として今後の考察テーマに。

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レスコーフの背景を少しみてみると役人だった父親が神学校を卒業したこともありその後の彼の思考や【魅せられた旅人】を含めた彼の作品に深く影響を与えているようだ。

父親が早くに亡くなり15歳から裁判所で勤めはじめ、16歳で役所に勤めながら大学の聴講生として農業や刑法、国家法などの法学、また解剖学なども学ぶ。 その後、26歳のときに公務員を辞めて叔父さんのところでロシアの中央部から東部のサラトフ≪ちなみにサラトフにはニコライ・チェルヌイシェフスキーの生家があるようだ。≫までの農民移住サポートの仕事する。その時に叔父宛に送った報告書が雑誌で評価をうけてルポルタージュを書き始める。30歳のときにペテルブルクに移り31歳のときに暗い農村の現状を描いた【消え去った事業】という初の小説を発表し作家生活をスタートさせていくという流れ。

【魅せられた旅人】はレスコーフが42歳の1873年発表。

魅せられた旅人 -- レスコーフ

≪紹介≫19世紀ロシア作家中,レスコーフ(1831‐1895)ほどみごとにあらゆる階層のロシア民衆を描きえた人はいない.本書は彼の創作力がもっとも旺盛だった70年代前半の傑作で,主人公自らに幼時から老年にいたるまでの放浪の「悲喜劇」を語らせつつ,その矛盾にみちた複雑な個性をあざやかに浮彫りにする.巻末にゴーリキイ「レスコーフ論」を付す.

めくるめく展開で四方八方巡るべく旅を進めてという物語。 ≪≫ 序盤で語りが入り回想で物語を紡いでいく。

農奴として生まれた 主人公が荷馬車に乗った 老いた修道士にいたずらで鞭を当てたところ車輪の下に転がって死んでしまう。 そして、その夜に修道士が夢に出てきてお告げを告げる。

では、おまえが約束された子だと知っているのか?

なんだって?

つまり、神様に約束してあるってことだ。

誰が約束したんだ?

お前のお母さんだよ。

それなら本人が話に来てくれればいいのに。でなければあんたが自分で思いついたのかもしれないじゃないか!

いや、わしが思いついたわけじゃない。だけどお前のお母さんは来れないんだよ。

どうして?

つまりな、こっちではお前達の地上とは違う。こっちではみんなが話したり歩いたりできるわけじゃない。 できるのはそういう能力を授かった者だけなんだ。だけど、もしお前がそれを証明してほしいなら【小さな きざし】を与えてやってもいい。

欲しい。だけどどんな【小さなきざし】なの?

それはな、お前は何度も死に掛けるが一度も死なないですむ。いよいよ本当に死ぬときが来るまでは。 その時にお前はお母さんとの約束を思い出して修道院に入るんだよ。

面白い。わかった。それを待つことにする。


毛色は全く違うが、能楽の【敦盛】なんかも日本的な情緒感の中であの世と今生を回想で行き来する。 物語の構成自体は古今東西よくあるパターン≪演劇では≫で最後に始点に帰結して終わる。

ただ、もちろん【侘びサビ】ではなく【オペレッタ調】を好む国民性がレスコーフの【魅せられた旅人】を 能楽の【敦盛】と全く違う活劇風味に仕上げて読み手に違う印象を与えるが根底に見え隠れする背骨は同じにおいのする作品だ。

【伯爵家馬番】->【鳩を食った猫を懲らしめる】->【鞭打ちの罰】->【伯爵家を脱走】->【脱走先でベビーシッターを2年】-> 【子供の母親と愛人と共に脱走】->【脱走先で馬を賭け勝負し中国人を殺す】->【ダッタン人に助けてもらい脱走】-> 【そのダッタン人に逃亡防止手術を足裏に施される】->【くるぶし走行を会得する】->【女を与えられて子供を作り医者として10年間】-> 【花火を使いダッタン人から脱走】->そして怒涛の後半へという

展開のオモシロさと人間の描き方がロシア的≪少なくても日本的ではない≫な感じが強くする作品だった。

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2008-09-16

リナザウでGoogleMapが熱い。GM_Lite 0.1.3 with GPS.



2008_09_16_[TUE]

昨今、【リナザウ教】の元枢機卿である【阿川】司教でさえ【iPhone】などというバテレン異教にうつつを抜かす日々。 ああっ。嘆かわしや、嘆かわしや。

日々【リナザウ教】の信者が減少の一途を辿っておるそのような苦難の中、みなのもの!少し明るい話題じゃ。



GM_Lite 0.1.3公開





お待たせ致しました、GM_Lite 0.1.3の公開です。

今回の更新の目玉は、Zaurus環境でのGPSとの同期機能の追加です。この機能はなんと!私自身はGPSを持っていないのにも関わらず、コメントを書き込んで下さった方々のアドバイスやお時間を割いて頂いてのテストによって出来上がってしまいました。ご協力頂きましたちゃびさま、mumumuさま、striderさま、kaniさま、大変ありがとうございました。ここに心よりお礼申し上げます。gps_zauの使い方はphs_zauと同様ですが、ご使用の前に環境に合わせて設定をする必要があります。やや手間ですが、gps_zauの先頭にあるdevとbrateを、コメントを参考に適当に編集をお願い致します。

実用工房 : 8 月 31st, 2008 ≫


【iPhone】などの金持ちグリグリなどには負けているわけにはいかんのじゃ。ローカルじゃローカルグリグリじゃ。

とか言うおいちゃん。労役形態が現在PCを使わない【非知的労働】なのと母艦がボカンで ≪致命的なタイムボカンでは無いことはわかってはいるので復旧はできるのだが≫ 出動する動機が【非ワカチコワカチコ】で最近リナザウを弄ってない。のは内緒じゃ。

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2008-09-14

チェルヌイシェフスキー『何をなすべきか』 Nikolai Chernyshevsky - What is to be Done? (Что делать).



2008_09_14_[SUN]


今週は19世紀のロシア人評論家としても有名な作家、 ニコライ・チェルヌイシェフスキーЧернышевский, Николай Гаврилович, Nikolai Chernyshevsky≫(July 12, 1828 - October 17, 1889) の【何をなすべきか】を読んだ。というか読み中。

とか言いながら名前は聞いた事があったが著作を読むのは初めて≪もちろん翻訳モノだけど≫のチェルヌイシェフスキー。

最近、といっても今年に入ってからだけど【ロシア共産主義とはなんだったのか?】 とか【いわゆる東欧的な】という意味を意識しながら ネットでロシア文学・思想系のこんなのあんなのの評論を読んだり、改めて図書館でロシア人作家の小説を借りてきたり、ロシアや東欧関連のブログをウオッチしたり、【米原万里】などのエッセイを読み返している。

すると今までぼんやりとしか見えてこなかった自分達からは 奇妙キテレツにうつる 【ロシアの独善的主義】 が我々からみた異文化に根ざしたもうひとつの世界からの見え方の結果であるという理解が可能になってきた。 ≪ロシア文学を通じてよく言われるモラル感覚の純粋性追求がドストエフスキー以降も含めて。≫ まだ感覚的であるのでうまく言語としては操れないけど海馬で消化できるようになってきたので今後ちょっと楽しみだ。

何をなすべきか -- チェルヌイシェーフスキイ

≪あらすじ≫母親の強いる富裕な青年との結婚を拒んだヴェーラは,医学生ロプーホフを夫に選び家を出る.自分と同様に貧しい女性を助けるために裁縫店を開いた彼女に新しい恋が芽生える.婦人の解放,恋愛と結婚,共同労働の組織,不幸な人々の救済と教育の問題などの解決を求める「新しい人々」の姿を描く,ロシア文学最初の社会主義的空想小説.

ヒロインの【ヴェーラ】に新しい恋が芽生えると医学生【ロプーホフ】は偽装自殺を行ってアメリカに渡り奴隷解放運動に 身を投じるのですがこのくだりでも王道をみせるなぁ。と。これが日本なんかの東洋仏教文化圏≪平安文学や草子なんかも≫だと【ヴェーラ】の性≪さが≫ としての淫靡性や情念を描こうとする傾向があり、またそうすることで書き手はその中に人間をみようとするし読者もそれを求めていたりする。

一方、正教が土着している文化圏≪清教徒の緋文字も似た感じだ≫には過程での【純粋性の力強さ】に趣がおかれ≪ざっくりだが≫この小説もそれは貫かれる。 ロシア映画独特のニヒリズムと混在するヒロインの描かれ方にいつもなにか違和感があったのだがこういうことだったのだ。

やはり、読んでみないとわからない事は多い。まぁ未来から見ればこれもまた【わかったつもり】だし、 その【気づき】というのは現実世界に生きる我々の日常生活では全く意味を成さないんだけどね。

だけど【カラマーゾフの兄弟】を初めて読んだ20代当時は全く気にも留めなかった【ロシアの司法制度】を自分が全く知らないで読んでいることに違和感を覚えるような傾向はいいことだと思う。 だって読めば読むほど自分の【広大なる無知】を大いに気づかされ自分で自分を笑えるんだから。私達のさほど刺激的でもない生活にこんな愉快な事ってある?

なにはともあれ、この『何をなすべきか』で一番面白かったのは、ようやく『地下室の手記』がこれをパロッたという意味がわかったことだ。



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2008-09-09

天才(自称)の設計 -- Genius (self-styled)



2008_09_09_[TUE]

笑ろすんなぁ。

『ある話題のツリーのトップにあるのが本文、そこにぶら下がってるのがコメント。ツリーといえばファイルシステムだ。』

ホップ、スッテップ、抽象化。

100%失敗するWebアプリの作り方



天才(自称)の設計

ふむ、コメントつきの日記システムか。 凡人にはコメントと本文は別物のように見えるかもしれないけど、俺に言わせると実は同じものなんだ。 だって、どちらも何かの話題に対して何らかの意見を述べているものだろ? 違いは、ある話題のツリーのトップにあるのが本文、そこにぶら下がってるのがコメント。 ツリーといえばファイルシステムだ。

そう、つまり我々が作ろうとしているものはファイルシステムの一種なんだよ。 日記を書けるファイルシステムというものを考えてみよう。 各ファイルは、名前、所有者、タイムスタンプ、そして内容を持っている。 これでそれぞれ、見出し、投稿者、投稿日時、そして本文(あるいはコメントの内容)を表現できるだろう。

そしてここがポイントなんだが、各ファイルはフォルダとしての機能も持っている。 ファイルとしての「内容」も持っているけど、フォルダとしての「子要素」も持っているんだ。 こうすると、「8月3日の日記」というファイル(フォルダ)の子要素としてコメントのファイルをぶら下げることができるだろう?そして、コメントにコメントをつけることもできる。 そして、驚くことに、日記帳全体も一つのファイルなんだ。

たとえば、「gyuqueの日記」というファイルを作って、gyuqueしか書き込めないようなパーミッションを設定しておくとするだろ、で、そこにgyuqueが「○月○日の日記」というファイルを毎日追加するんだ。

ほら、「gyuque専用の日記帳」が実現できただろ? ここまで汎用的なシステムができてしまうと、日記だけに使うのはもったいないよなあ、日記というのは我々のファイルシステムに対するあくまで一つの「ビュー」である、というのはどうだろう。

たとえば、利用者の気分によって「日記ビュー」と「アルバムビュー」を切り替えられるようにしよう。

すると、きれいな画像を集めてコメントしているような日記をFlickrのようなインターフェイスで見ることができるんだ。

書いてる人は日記のつもりなのに、見ている人にとってはFlickrなんだ。

とってもCoolだろ! あと……

教訓

プログラムを抽象化するのは大いに結構だが、サービスまで抽象化してはいけない。

最速チュパカブラ研究会 : 2008年9月8日≫


玉子焼きを頼んだらチャーハンが出てきた。みたいな

【天才(自称)の設計】っていうシュチュエーションは、全ての業界と階層に存在するよね。



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