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2011-04-25

【現代芸能】吉本興業02-05--「ヨシモト」興行稼業とライオンの子供達 2011_04_25_[MON]



2011_04_25_[MON]



【現代芸能】ヨシモト芸人を作ろう!S02



ネットと電波媒体がクロスしてくる今日。



他の芸能考察ブログと違い

【現代芸能】を現象から見える『売れアルゴリズム』と『提供サイド側の思惑』を適当に考察する


--> シリーズ 【ヨシモト芸人を作ろう!】 の全体見出し
-->コレまでの「ヨシモト」関連エントリー

---シーズン02見出し---
◆02-01--「ヨシモト」のドンとソノ御仕事
◆02-02--「ヨシモト」のドンが興行師の理由
◆02-03--「ヨシモト」企業防衛と興行師達の「戦前」
◆02-04--「ヨシモト」企業防衛と興行師達の「戦後」
◆02-05--「ヨシモト」興行稼業とライオンの子供達
  1. ▼「興行屋」血みどろ地上戦の勝利と敗退
  2. ▼「興行屋」色モノの常打ちという稼業
◆02-06--「ヨシモト」のドンと興行師「大崎洋」
◆02-07--「ヨシモト」のドン若き「破壊者」代表的MG


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「興行屋」血みどろ地上戦の勝利と敗退

昔からソノ時代のヨシモトの幹部が語るインタビューを読んだことがある人ならわかだろうが

パターンとして、娯楽があふれる時代での【常打ち小屋】運営の厳しさをワライを入れながら語るのだが 様々な界隈系書籍を読み込んでいくと

界隈的には「TV演芸」差配の【空爆】に対して、

寄席運営を【地上戦】等と表現したりするように

自他共に認める寄席興行のプロ中のプロ集団である「ヨシモト」でさえ、寄席運営「地上戦」に関しては100年間も一進一退の攻防を繰り広げている。

特に多くのレジャーがライバルとなった戦後は「ヨシモト」でさえ、 売上減の攻撃にさらされて寄席を守りきれずに多くの基地を潰している事が言うに及ばず現実の厳しさを物語っている。

唯一の安定運行と言われている あのNGKでさえ当時のグランドオープン初期では、2000万の赤を出して、 当時の「ヨシモト」幹部達がライオン興行師こと「林正之助」氏に興行師特有のドギツイ「ジョーク」でドヤされながら必死で香盤やシステムの練り直しで黒字化していくエピソードは有名だ。

一昔まえのヨシモトの興行師達、つまり「ヨシモト」幹部達と「林正之助」氏との内輪やり取り記事なんかを読むと、 失敗時に『ころすぞぉ』とかっていう言葉が、 一般企業での「ダメだろう!」ぐらいのニュアンスで使用されていたりしており、

それに答える興行師である当時の幹部も、芸人と同じく上下秩序が「ヨシモト」は社員間でも厳しいから絶対にTOPへ反論はしないまでも 「ドン」にジョークで返すなど豪傑というか肝が座っており 線の細いヒトは「ヨシモト」では幹部までは残れないのだろうなぁ。という事が遣り取りでよくわかる。

例えば、戦後の「うめだ花月」開場に関する当時の貴重な「ヨシモト」幹部とライオン興行師との遣り取り記事はこうだ。 ≪文字の色と顔のアイコンは、原文にはありません。

時は、「なんば花月劇場」開場の4年前、昭和34年≪1959≫

『アメリカに負けての泥沼時代、映画で"花のれん"を死守してきたんだ。吉本がいくら演芸の老舗やからといって、もし失敗したらどうするんだ!』

進言者に吠えた。しかし、腹の中では開場したくてしたくてウズウズしていたにちがいない。

「失敗したその時は腹を切ります」

進言者の事業部次長「八田竹男」は豪語した。

『解った、成功を条件に承知しよう。その代わり失敗したら責任者全員、市中引き回しの上、打首獄門やぞ!!』

って時代劇じゃがな。

かくて「八田」は、うめだ花月劇場を強引に開場させた。その柿落としの昭和34年3月1日、1回目の入場者17人には一同愕然とした。

正之助、血相変えて楽屋へ怒鳴り込んだ。

『貴様ら、吉本をつぶす気か!!全員ただちにギロチンにかけて千日前(江戸時代から明治4年まで刑場であった)で晒し首だ!』

打ち首獄門がギロチンに変わった。

当時、関西では飛ぶ鳥落とす人気者の大村崑、芦屋雁之助、小雁、吉本のドル箱スター花菱アチャコといった錚々たるメンバーを配したにもかかわらず大敗した。

ところが、僅かその三ヶ月ばかり後、TV中継(毎日放送の毎週番組)が功を奏したか次第に入場者が増加し始めた。 これにより1年後の35年正月2日、600しかないキャパに三回公演で3500人を収容した。

無茶である。これが吉本だと思い知らされた。

『どや!さすがに吉本やろ。これが演芸に強い老舗の力や!』

と胸を張ったのは、「正之助」その人であった。勝手モン!。

こうして"恐るべし吉本"を世間に見せつけたのである。

以来演芸経営は順風満帆。37年6月に「京都花月劇場」を、38年7月に「なんば花月劇場」を開場したのだった。

≪暗い街角:吉本勝彦:「吉本勝彦と吉本興業」より引用≫
ライオン興行師「林正之助」氏の数々の言動などは多くの関連界隈誌にあり、どれもがメチャクチャ面白くて

まぁ、時は移ろい「うめだ花月」も「京都花月」も娯楽の多様化という敵に飲まれてアノ吉本という興行界での百戦錬磨のプロ達でさえ城を守りきれず撃沈されていく。

これが「ヨシモト」幹部達がTV差配の『空爆』に対して皮肉を込めて『地上戦』と呼ぶ常打ち小屋運営のリアル。


もちろん、ライオン興行師の下で働いたヒトリである現在のドン「大崎」氏も、若手小屋での常打ち興行で血みどろの勝利と敗退を前線で指揮した戦歴を持つ興行師だ。

そして現代においてもツイッターで「ルミネ支配人」などのヨシモト興行師達が、 自分達の小屋を守るため日々チケット販売情報を夜中過ぎても呟き続ける必死な一進一退のサマ。

戦後の数年間を除く殆どを寄席運営という過酷な「地上戦」で100年も戦い続ける「興行屋」のリアル。






「興行屋」色モノの常打ちという稼業

界隈書籍を読んだことが無い人には意味がわからないだろうが、【寄席興行】と一口で言っても様々なレベルや難易度があって「ヨシモト」が行なっているのは

色物メインの常打ち

と呼ばれていて

それも無限大やルミネなどに関しては「若手」主体色物メインの常打ち という更に難易度が高いと言われる運営になる、

つい最近も色モノで回している浅草東洋館が

常打ちでは無い月1で行われていた若手色メインの【雷ライブ】興行でも恐らくネジの巻きなおしで1度終了させて、 リニューアルで立て直しを行うようだが

界隈書などによると、

落語などの古典演芸でなくこのような『色モノ』と呼ばれる「漫才」や「コント」等の演芸を メインにした寄席興行を長期的に行うのは業界では、固定客が付きにくく難しいと言われていて、

つまり、『色モノ』で常打ちすると芸人の鮮度が重要で廃りが早く、小屋を運営するには『収益が安定化しにくい』らしい。

それも「吉本興業」のルミネや無限大などのように

事業として都会で地代を払いながら「若手」メインで「常打ち」と呼ばる毎日小屋を開け、 しかも1日で複数回転させ、月の上中下席の全部をソレで回すというのは

芸人を抱えているとは言え素人が考える以上に 界隈的にもホボ曲芸に近いパドリングのようだ。

だから「吉本興業」以外の同業他社は、月一度ぐらいの事務所ライブしか『しないではなく、色の常打ち運営が出来ない』というのが正しい表現のようだ。

直接、客から数千円の木戸銭をいただき成り立つ「常設の小屋打ち」というのは、一般のヒトが想像する以上に様々なノウハウとコストが必要で、 歴代の「ヨシモト」TOPもNGK以外は嘆く一進一退で血みどろの闘いをしている。

自他共に認める色での常打ち興行のプロ中のプロであるヨシモトでさえ 戦後も多くの小屋が採算割れに耐えられず倒れている事がシビアなリアルを示している。

ヨシモトの幹部は、この「地上戦」は芸人の足腰を鍛えヨシモトの強さの源泉になっている言わば勝つ芸人育成の【R&D】≪研究開発費≫と 位置づけられていて厳しい戦いだが工夫しながら続けていかなければいけない。

と答えている事が多いが

実は、この「地上戦」は芸人の足腰を鍛えているだけではなく興行屋の社員としてのヨシモトの興行師も鍛える事になっていて、 こうやって多くの「芸能プロ」社員と違い「ヨシモト」の社員だけが、「常設小屋打ち」という厳しい「地上戦」もマネジメント側からリアルな数字の実戦で体験でき、

「香盤」等の「顔付け」から始まる興行段取りだけでなく、出入り業者からスタッフ「座付き作家」や「支配人」まで小屋構造の関連性、 日本の寄席特有の「楽屋」シキタリ等、「ヨシモト」の幹部、そしてTOPになるためには必須となるプロ「興行師」としての管理スキルをつけていけるのだ。

当然、多くの「芸能プロ」の幹部は「興行師」でないからコノ血みどろの地上戦を経験しない。

そして、この「興行師」というスキルは5年や10年ぐらいでは身につかないと言われていて、 机上でなく現場で「大崎」氏のように失敗もしながらライバル達と競争し20年以上とかいう単位で鍛えられて「顔」も覚えられ一人前になっていく。 というのだから気が遠くなるほど大変な商売だ。

ライオン興行師「林正之助」氏も、破壊者「大崎洋」氏も小屋での陣頭指揮を取っていた事は有名だが


界隈誌等に拠れば「大崎」氏も、地上戦では有名な若手小屋の成功という華麗な管理戦歴と共に辛酸も嘗めている。

そして「大崎」氏が幹部からTOPへ上り詰める過程でチカラの源泉を考察すると、2丁目を中心とする「地上戦」での勝ちも負けも経験があるから、 社内的にも対芸人に対しても共通認識な信頼感や精神的なオサエが効いていると推察できる。

また、「大崎」氏は、まだ東京に足場が無い時期に壮絶な地上戦を 経験している事を「芸人」も「社員」も知っているので「現場の苦しさを知らないくせに!」とか上に言えないのだ。

つまり現在のドンである「大崎」氏は「地上戦」を前線で指揮した体験しているから若手にもベテランにも『いや、お前より大変さは知っている』と言えてしまえる 構造だと推察できる。

「大崎」氏のチカラの源泉となる若手小屋の「ダウンタウン」さんを中心とする若手芸人や、ヨシモトの部下への指揮指導でのマネジメントが後に異名となる 【破壊者】という言葉を生む事になるのだが、それは別エントリーで。



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