2009_09_27_[SUN]


終わらないからいつも一年を清々しくおくれない。
というわけで、今月から年末に向けて少しづつ年末の掃除を始める事にした。
ITとか建築系以外の書籍で小説とか売れそうなものは売って、もう着れない服とかは切り刻んで「ダスト用布切れ」、 どうせ最終的には田舎で農民するんだろうし昔の仕事関連の書類とか要らないものはドンドン処分していこう。
という感じの自分用記録メモ。
今回は、押入れの発掘1回目。
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--目次--
- デルフィでなくデルファイです。
- PC-98版のWIN95はDOS/Vで使えません。
- 前略。ResEditのピエロは元気ですか?
- 会員制ファミコンコピー屋
- ココまで来て、読み込まないんですが・・
- ゲームバランスを破壊する快感
- 「とある界隈」のドラクエ的シリーズ
- めっちゃ新品
- いでよ、夢のマック互換ゲーム機!
- 大陸製白黒TVでカフィ。
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デルフィでなくデルファイです。
押入れからダンボールに入ったデルファイ(Delphi)を発掘した。 CやVBしかやったことが無くて初めてパスカルに触れた時は、オブジェクト指向にスゲー未来を感じたが やがてそれは井の中の蛙である事にあとで気付く。
最初は「デルフィ」と得意げに間違って発音していた。
確か、デルファイで最初に作って友達に配布したプログラムは『windows.exe』という実行したら 壁紙を変更して「残念ながらこのパソコンはウイルスに感染しました」と表示するヤツだった気がする。くだらなく懐かしい。
当然、売れるわけも無くゴミの日焼却行き。
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PC-98版のWIN95はDOS/Vで使えません。
昔のパソコンは高かった。たしか最初のWINパソコンは中古で買った「ペケロク」本体やソフトを 中古で売ってWIN3.1に乗り換えた。
押入れから発掘されたのはPC-98版の3.1と95のパッケージと取説だが、DOS/Vがすぐにやってきて もう一回、3.1と95を買うはめになった間抜けな思い出が蘇って来た。
当然、売れるわけも無くゴミの日焼却行き。
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前略。ResEditのピエロは元気ですか?
実は、オイチャンも周りの雰囲気に流されて一時期「マッカー」だった。 IBMのパワーPCを積んだ8500のAVマックや本当にすぐ終わったiMacを持っていた。
iMacはすぐ売ったが、8500はメインがWINに移ったあともMacLinuxを入れてイロイロやってたりして 売りそびれたので、たぶんドコカに眠っているはず。
写真に写っている押入れから発掘されたマック用のオフィースは、当時の M$オフィースよりも新しい技術を取り入れて出来が良かった気がする。
当然、売れるわけも無くゴミの日焼却行き。
もちろん、写真にあるソフトなんて発掘したしたソフトのごく一部でパッケージが無い シリアルなんてわからないCD-ROMや当時使っていたソフトをバックアップしたのであろうMOディスクとか が出土したが、検証する気は全くない。
結局、8500を売りそびれた結果がこの惨状であるのだけは間違いない。
この見切りの悪さが10年以上のあと「株式投資」でメッタメッタにやられる。
という暗示だったのかも知れないと暗澹たる気持ちにさせるマックの残骸である。
この「ディレクター」というソフトも結構高かった。が、今思えばネットスケープなども 当時は有料で販売していたのだ。
当然、売れるわけも無く、CD-ROM以外のパッケージや取説はゴミの日焼却行き。
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会員制ファミコンコピー屋
基本的にオイチャンは、いらなくなった漫画や週刊誌≪その週のジャンプなら50円ぐらいで買い取ってくれた≫、 終わったゲームは当時からドンドン売っていたし、
当時、3日で数百円と言うファミコンソフトのレンタル屋さんがあって 借りてやったり、嘘みたいな話だけど、 ファミコンソフトのダビング機というのがあって会員になるとお店でコピーしてもらって遊んでた。
当然、そのレンタル屋さんは2年ぐらいで突然、コミック販売と買取のみに衣替えした。
当時は、その唐突さに首を捻ったもんだが 今になって思えばいくら田舎だとはいえ、よく店舗を構えた商売として成立し2年ももったもんだと感心する。
発掘されたファミコンソフトを考察すると売りそびれたヤツか気に入ってたヤツなんだろうな。信長の野望シリーズや人生劇場とかの双六系が残ってるし。
ちなみに 青いテープでグルグル巻きのヤツは、やりすぎて接触部がグラグラになったのでテープで補強した「熱血高校くにお君」 飽きた時に家から1時間かけて中古屋に持って行ったら査定が30円って言われて持ってかえった。
左に写ってるソフトは ファミコンで株取引をするシュミレーションのソフト。
出会わなければ今頃は・・。
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ココまで来て、読み込まないんですが・・
これは任天堂のゲーム機にドッキングさせてゲームを遊ぶディスクシステムというヤツの本体とソフト。
これは、ネットが無い時代だからオモチャ屋さんに任天堂の正式なソフト書き換え機が設置されて お金を払って新しいゲームを入れてもらえるというシステムだった。
ただ、この「書き換えディスク」というヤツが記憶デバイス部が一部剥き出しで磁気に弱く、しょっちゅう 読み込まなくなり泣きを見る事になる。
案の定、すぐ終わった。
そしてオイチャンはこのゲーム機も売りそびれる。
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ゲームバランスを破壊する快感
スーファミの本体と共に売りそびれたかお気に入りだったソフトも何本か見つかった。
ダビスタよくやってたなぁ。
スターフォックスはFXチップを積んでて当初、ROMを吸い出してバックアップしてもエミュレートできなかったのに、そのあと この方式を何故取らなかったのか?
解析記事を読むのが楽しかったなぁ。
ダビスタシリーズと、ターボファイルやマルチタップ。
ゲーム機のメモリデータをダンプさせたり書き換えたりPCと繋げて取り込んだりするヤツの一部。
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「とある界隈」のドラクエ的シリーズ
当時、所持していた FC、SFC、セガ、PCエンジン、N64、PSなどの捨てそびれた攻略本多数。写真に写っているのはゴク一部。
ゲームするよりも攻略本を読んだり、解析本を読むほうがメインになっていく。
ゲーム攻略系の同人誌を出すまで行ってしまう。
変なゲームソフトがあれば手に入れたくなったり、
「とある界隈」では解析に関しては、結構早い内に終わっていたけどもネットが無い時代に 流通経路の問題で
最初は、素人がニーモニック表とにらめっこしながら簡単な画像に送りを付けただけの写真集とか ベーシックで最初に作るゲームとかのレベルだった「同人ゲーム」だが
最終的には、ROMに焼き付けて別のカセットのガワをかぶせた 完全な独自のエッチ系シュミュレーションゲームとしてシリーズ化され販売されるにいたる。
このシリーズも当時、確か3本ぐらい買って持っていたが特にこのシリーズ3作目。
パッケージをよく見て。
エロ画系界の「鳥山明」的な「町野変丸」先生が作画という凄いゲームまで登場する。
といっても、このエロ画系界を知らない殆どの人にはこの「町野変丸」先生が同人ゲームのキャラを描くというスペクタルな感じは伝わらないだろうけども。
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めっちゃ新品
N64の新古。
もうこの頃になると、ゲームをやらないのにゲーム機を買ってた。これは二代目のN64で 一代目を売って新しく買いなおしてホボ新品の状態で保管。
同じくセガサターンも白を買いなおしてホボ新品の状態でどこかに保管中。
理由は特に無し。
左はノーマルな長さのコントローラー。右が、ちょっとだけ珍しいセガの業務用カラオケ純正ロングコード。
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いでよ、夢のマック互換ゲーム機!
そして、真打。ピピン@の登場。
6マンぐらいした夢のアップル互換ゲーム機。これからはピピンの時代だ!と勇んで予約し買った。
当時は、プログラミング環境も提供されると言う事でマック8500でプログラミングして、 CD-ROMに焼いた自作ソフトをピピンで動かして遊ぶつもりだった。
もちろん、ホボ新品。
なぜならモデムの通信は死ぬほど低速だったけども。高速で消え去ったから。
ほぼコミュニティも盛り上がらず、60億を超える赤字と共に 即効で販売中止のアナウンス。
渦巻きの湯川専務は降格だったらしいが バンダイでピピンの陣頭指揮を取ってた人は、 ほぼ誰に名前を知られる事もなく責任を取って首になったようだという事を当時のマックファンという雑誌を読んで知った。
もちろん買取り査定してもらいに行ったがありえない定額査定で持って帰り現在に至り、 押入れのコヤシとして今後も生きていく事に。
田舎で農民になり50歳を向かえて時間ができた時に再び、ピピンを動かしてやろうと思う。
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大陸製白黒TVでカフィ。
掃除も疲れたのでちょっと休憩。
せっかくだから、ちょと発掘したゲームでもするか。
昔、シャープが出したツインファミコンは無いので 電圧が不安定で基盤が熱によりすぐ焦げ臭くなる大陸製白黒TVの電源を付けて、
1942でもやりながら?それとも。
砂嵐の中にぼんやり写るドラマでも眺めながら
カフィ。
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